昭和41年11月27日  夜の御理解



  今晩テレビで源義経の、安宅の関所のところがあるです。見せて頂きました、筋の分かっておることです、けれどもやはり、もう俳優達の演技力も、さることながら、その弁慶、一生懸命の姿に、関守、あの関を落とす所が、でございましたが、本当にやはり涙無しでは見られないという場面でございますね。これはいよいよ椛目も、安宅の関じゃないですけれども、いよいよ関所が近づいてきた、そんな感じですね。
  今日委員長朝からきとりました、(  ?  )のいろんな話し合い、今年末にもう十一月一杯で、大体仕事がもう、殆ど終わるそうです。ですからいろいろなまぁ十二月には、早々には、まぁ引き上げるわけでございますが、まぁそこにあの井上組から、いよいよ私共の手に、あれを引き渡されるという、まぁ検査があってそして渡される、言う訳になるんですけれども、それにはどうしても十二月の二十五日まで、そのあれこれ支払いが丁度一千万あるです。
 もう今まではもうそれこそ、( ? )じゃないけれども、何やらかにやら、何とはなしに、ね、本当にお都合お繰り合わせを頂いてから今日に出てきて、いよいよ最後の山だというところ、もう本当に万事、必要なものが必要なだけに、こうお繰り合わせ頂いてきたけれども、今度の一千万というのは、もういよいよ、そらぁあるとじゃないのですからね、これからおかげを受けて行かなければならんのですから、こりゃ一つ私を初め、皆の者が本気で一つ本当に真心の限りをです、そこに現して行かなければ。
 言わば腹の見せどころ、でなからなければ、この関所が通られんと言う様な状態に、のであります。ぐずぐずはしておられないということになりますね、勿論それは誰彼に、腹を見せるのじゃありません、勿論神様見てみて下さりゃ、いわゆるそれこそ関守じゃないですけれども、関守のにあるのですから、後は関守引き受けた、「さどうぞ落ちたまえ」というところなのです、ね。
 問題は神様が私共の、言わば腹を見て下されば、ね、私共は一千万円そりゃ大金ですけれども、神様の目からご覧になれば、私は問題はなかろうと、まぁ丁度、丁度一月あるわけなんです。どういう信心をさしてもらおうか、どういう腹の見せどころ、ということに、ならなければならんかと、もういよいよ一つおかげを頂かしてもろうてです、ね、椛目全体の、私は言いぶんもそうですけれども、ここにお互いの銘々の上においてもです、腹の見せどころ。
 真にお互いの前に横たわっておるところの、様々な難儀まぁ難儀な問題と言うか、様々な言わば関所的なものが、私は皆の上にも道が開けれるおかげが頂けれるんだと私は確信する。問題はその関所である一生懸命なものである、私は今日のそのおしお芝居じゃないその、テレビを見せて頂きながらです、その事を私は感じたんです。今日の午前中も、御祈念会の時の御理解にも、断と言う事、断というのは、断つと言う事。
 その潔く断たせてもらうという、そこからしか更なものは生まれっ、更な勢い力というものは生まれてこないと、勿論更な信心も生まれてこないと。断という字更という字を、大きく頂いたんです、今までに出来なかった事、今まで踏ん切りが付かなかった事、そこを本気で踏ん切りを付けてです、私は一丸になってそこん所をおかげを頂かなければ、言うならば。今まで大きな事を言うて来た、(?)なんかでもそうである、ね、
 前なんかでも(?)でもその頃かと言うて、(  ?  )ね、言わば私共の(なわび)じゃない、神様の御身の関わること、今になるこっちゃぁいかん、(  ?  )ね、ごまかし半分の信心で言うならやってきた、ね、けれどもいよいよ私は、言わばどたんばとでいくか、そういう本当にあたかの関にも匹敵するような、言わば難しい関所が、この十二月には控えておると、どういう信心で神様に自分のその、一生懸命を見てみて貰おうか、名々が工夫のしどころではなかろうかと、思いますですね。
     どうぞ。